研究メモブログの目次

【長い日記】子どもと暴力

わたしは子どもが苦手だ。いや、正確には「子どもに対する若い女性らしい反応」を求められるのが苦手であるがゆえに、子どもにも苦手意識があるのだと思う。そうだといいな。

子どもを「可愛い」と思う感情が薄い。街ゆく子どもを遠目に見て可愛いな、と思うことくらいはある。けれど、例えばひとに子どもの写真を見せられたときに「可愛い〜!」と歓声をあげるとか、SNSで見知らぬひとの子どもの成長を見守るとか、そういうことがない。できない。話を聞いたり様子を見たりしていると、同年代の女性の多くは子どもに非常に大きな正の感情を持てるようだ。そこに乗っていけない。冷血な人間だと思われてしまいそうで、そういう話題になると内心ビクビクする。血縁者の子どもを見れば変わるのではないか、とすこしの期待を持っているけれど、身内にすらも大きな感情を持てなかったらどうしよう、という不安のほうが大きい。自分の子どもを持ちたいか、という質問にどちらかというと否定的な返事をしがちな理由の一つに、この感情の薄さがある。

 

なぜこんなひねくれた前置きをしたかというと、度々日記ページやツイッターで子どもについての話題を出すため、子ども大好き♡な人種だと思われているのではないか、と考えたからである。現実のわたしは、子どもが嫌いなくらいに見えると思う。そんなわたしが子どもの話をよく出す理由は、縁あって博士課程で入学した研究科が子どもに関わる研究を行なっているところだからだ。わたしの研究は臨床系ではないので子どもに直接関わることはないが、講義では子どもの勉強をしている。そのため、子どもに想いを馳せる時間が長く、子どもに関する話題に目が留まりやすい。自分でも不思議な状態だと思う。

わたしは子どもを「可愛い」とは思えなくても大事なものだとは思える。一人でもつらくない生き方を選べる子どもが増えることを心から願っている。一歩引いたところから「子ども」という存在の未来を考えられるということはむしろ自分の強みだと考えたい。


ここまでが長い長い長い前置き。

さて、連日子どもに関する悲しいニュースが相次いでいる。普段読んでいる地元新聞の投書欄には「虐待は連鎖するというが、自分がされて嫌だと思ったことを子どもにしないでほしい。できないなら、産まないで。」という年配女性の投書があった。しかし、虐待の連鎖はおそらくそんな風に感情論でどうにかなるものではないから止まらないのだろう。産む前から、子どもを痛めつけてやる!と思っている親はそういないのではないか。もちろん、一部にはいるのかもしれないが多くの悲劇のすべてが必然だとは、わたしは思わない。

この記事はあくまでわたしの日記であって、個人の意見であって、学術的な裏付けなどない。専門家の意見を求めている人はここで読むのをやめてほしい。これから書く内容は講義で言われたわけでもない。わたし個人の考えだ。

やってはいけないこと、やられてつらかったこと、とわかっていながらやってしまうのは、それを「親」という最も身近で、一番最初のお手本である大人がやることによって、その行為が子どもの中に選択肢として刻まれてしまうからだと思っている。

漫画呪術廻戦で、主人公の虎杖悠仁が「一度人を殺したら『殺す』っていう選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ。一度人を殺したら『殺す』っていう選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ。命の価値が曖昧になって 大切な人の価値まで分からなくなるのが俺は怖い」と言っていた。悲劇の連鎖の原因は、まさに、生活にその選択肢が入り込むことによって事の重大さがわからなくなっていく、というところにあるのではないか。

2020年の四月に体罰を禁止する法律が施行された。児童虐待防止法と名がついているが、内容には体罰の禁止も盛り込まれている。体罰と虐待の境界は曖昧であるから、考えてみれば当然のことだ。しかし、わたしの世代では家庭での体罰はまだ一般的で(先進的な家庭にはなかったかもしれないが)、自分も受けたことがあるため、初めに聞いた時は体罰禁止が明文化されたことにすこし驚いた。この日記に両親を責める意図はまったくない。わたしが子どものころはアニメクレヨンしんちゃんで母みさえがしんのすけを堂々とグーで殴っていた時代だった。ガンダムアムロ・レイの「親父にもぶたれたことないのに!」が甘やかされてきた子どものセリフとして有名だった時代だった。わたしが覚えている体罰はほんの数回であり、両親は覚えてすらいないかもしれない。それでも、体罰の記憶は大人になった今でも残っているし、「体罰」という選択肢はわたしの中にもある。今年の正月にそれを思い知らされる出来事があった。

些細な喧嘩だった。喧嘩というか、わたしが妹に一方的に小言を言っている状況だった。しょうもない内容ではあったが、はじめは明らかに妹が悪かった。状況が一変したのはまったく話を聞かない妹にわたしが平手打ちをしてから。妹はやり返してこなかった。直後から後悔してすぐに謝った。自分でやったのに、自分のやったことにショックを受けていた。わたしは血の気が多くて喧嘩っ早いけれど、実際に他人に暴力を振るったのは、中学生の頃に弟と取っ組み合いの喧嘩をした時が記憶にある限りでは最後だった。冒頭を読んでもらえば分かるとおり、わたしは社会性がけっこう死んでいて、嫌いな人も苦手な人も、軽蔑している人もたくさんいる。でも、実際に自ら手を下すという選択肢が上がってきたことはない。両親に対してもない。その選択肢は「子ども(あつかいしている)」相手にのみ発生した。そのことに気がついて、悲劇の連鎖のきっかけはこれなんじゃないかと思った。自分の意識の外にすでに選択肢は生まれてしまっていた。

 

では、暴力の連鎖を止めるにはどうしたらいいのだろうか。わたしもそれについては答えを出せていない。というか、講義で齧っただけの学生が答えを出せるなら、世の中の頭が良い人たちがとっくに答えを出しているはずだ。しかし、ただ齧っただけの学生の立場から思うのは、まず第一に、自分の中の選択肢に自覚的になること、第二に、体罰(そしてその延長にある虐待)は「自分がやられて嫌だったからやらない」という主観的な基準ではなく「法律で禁止されているからやってはならない」という客観的な視点から自らを律することの必要性である。感情論では縛れなくても、規範意識では縛れる可能性がまだ残されている。体罰レベルから禁止されたことで、自分のやっていることがしつけか虐待かを区別する必要はもうなくなった。子どもに対する暴力はすべて犯罪なのだから。

この日記は、連鎖の中にいる人は子どもを産むべきではない、と訴えるものではない。冒頭に述べた理由やその他ここには書いていない事情があって、わたし自身は子どもを持つことに今のところ前向きな考えを持てていないけれど、それは個人レベルの考えだ。むしろ、人口減少の一途を辿るこの国において、子どもを持ちたいと望む人には産んでほしいし、安心して産める社会になってほしい。発展には多様性が欠かせない。個体数が維持できなければ多様性の維持も難しいことはほかの生物を見ればわかる。わたしは、個体単位で言ったら好きな人間のほうがすくないが、人間が生み出した文化や芸術や物質が大好きだし、人間が持つ可能性を愛している。だから一人でも多くの子どもがその可能性を潰さずに生きていけることを願っている。

 

 

最後に、この日記に内容は反映していないが、一応書くにあたって目を通した厚生労働省の資料を載せておく。

体罰等によらない子育てのために - 厚生労働省体罰等によらない子育ての推進に関する検討会」000573078.pdf (mhlw.go.jp)

体罰等によらない子育てのために~みんなで育児を支える社会に~ (リーフレット) leaflet.pdf (mhlw.go.jp)

 

先のpdf 資料より一部抜粋


1. 体罰等が子どもに与える悪影響

体罰等は子どもの成長、発達に悪影響を与えることは科学的にも明らか になっており、子どものときに辛い体験をした人は、心身に様々な悪影響 が生じる可能性があることが報告されています。

○ 例えば、保護者から体罰を受けていた子どもは、全く受けていなかった 子どもに比べ、「落ち着いて話を聞けない」、「約束を守れない」、「1つの ことに集中できない」、「我慢ができない」、「感情をうまく表せない」、「集 団で行動できない」という行動問題のリスクが高まり、また、体罰が頻繁 に行われるほどリスクは高まると指摘する調査研究もあります。

○ また、手の平で身体を叩く等の体罰を行うと、親子関係が悪化したり、周りの人を傷つけるなどの反社会的な行動が増加したり、感情的に切れやすく攻撃性が強くなったりするなど、有害な結果と関連することも明らかになり、また、それらの有害さは、虐待に至らない程度の軽い体罰であっても、深刻な身体的虐待と類似しているとする研究結果も示されています。

○ このように、虐待や体罰、暴言によるトラウマ体験は、心身にダメージ を引き起こし、その後の子ども達の成長・発達に悪影響を与えます。一方で、その後の周囲の人々の支援や適切な関わりにより、悪影響を回復し、 あるいは課題を乗り越えて成長することも報告されています。社会全体で子どもが安心できる環境を整え、早期に必要なケアを行うことが重要と言えます。

2 子どもが持っている権利

○ 全ての子どもは、健やかに成長・発達し、その自立が図られることが、権利として保障されています。保護者は、子どもを心身ともに健やかに育 成することについて、第一義的責任を負うとされています。

○ また、全ての国民は、子どもの最善の利益を考え、年齢や成熟度に応じ て子どもの意見が考慮されるように努めることとされています。

○ 1990年に発効し、1994年に日本も批准した「児童の権利に関する条約」 では、あらゆる形態の身体的・精神的な暴力や不当な取扱い等を防ぐため の措置を講ずることとされています。子どもへの暴力は子どもの持つ 様々な権利の侵害につながることから、日本でも法律で児童虐待等を禁止しています。

○ これらの法律や児童の権利に関する条約の理念に基づき、子どもが心身ともに健やかに成長・発達するためには、体罰等によらない子育てを推進していくことが必要です。

3 体罰等による悪循環

○ 子育てをしていると子どもが言うことを聞いてくれなくて、イライラし て、つい、叩いたり怒鳴ったりしたくなることがあるかもしれません。もし、叩いたり怒鳴ったりして子どもが言うことを聞いたとしても、それは 恐怖等により子どもをコントロールしているだけです。子どもはその行為 をやめる、または親の言うとおりにするだけで、どうしたらいいのかを自分で考えたり、学んでいるわけではありません。

○ また、保護者の行動は子どもにとってのモデルになります。親が子ども を叩いたり怒鳴ったりすると、子どもは他人に対して同じようなことをし てしまうかもしれません。「悪いことを身をもって覚えさせる」という行為は、子どもが暴力を学ぶきっかけになってしまいます。

○ 何よりも、子どもが親に恐怖等を持つと、信頼関係を築きにくくなり、 子どもがSOSを伝えられなくなります。悩みを相談したり、心配事を打ち明けられないと、いじめや非行など、より大きな問題に発展してしまう可能性があります。